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魚座と牡羊座、死と生とJAZZの夜

こんばんは🌟ほしのすけ🌟です。

昨日、またJAZZを聴きに行ってきました。(ここからはJAZZの素人の戯言ですのでご了承ください)

下鴨にあるバーボンハウス ルシフェルでのライブでした。

 

天秤座(石田さんb)、牡羊座(中村さんg)、魚座(畠山さんp)と占い好きな人たちのトリオと

最後に畠山さん(魚座)と中村さん(牡羊座)のデュオの演奏が主でした。

 

何か考えさせられるような音楽でした。

 

それはなぜか太陽星座の特徴が出ているように聞こえたからです。

#もう職業病です

 

魚座の畠山さんは何もかも包み込むようで厳しさもある音に聞こえ。

 

なんというか魚座というのは自然そのものなのでそういう意味では、

すべてを受け入れながら否定するような矛盾があり、

終わりながら始めるというか始めながら終わるというか、

内には矛盾がありながら外の全てを引き受けていく気がするんです。

#わけわからん#圧倒的矛盾

 

それに対して次の牡羊座(中村さんg)は魚座(畠山さんp)にはない答えを持っていてそれを引き受けていくのだけれど

そこには死と生ほどの違いがあって二つ合わせれば人間の一生が凝縮するわけです。

そしてそんな極端さに天秤座(石田さんb)はバランスをもたらすようにトリオの音楽が演奏されていきました。

 

次に畠山さん(魚座)と中村さん(牡羊座)のデュオの2曲では

何か生と死の往復が起きているような気がしました。

(個人的には2曲目が好き、#自分が魚座だからか?)

 

この2曲は組曲でCD化されるそうです。

 

中村俊彦さんのThe Prelude

畠山ゆきさんの Moonlight and snowlight

(前兆は夜明け前であり生命感があふれている、月明かりと雪明かりは夜でありそこに太陽の光が常に意識され存在しているとほしのすけは解釈)

 

※詳しくは畠山ゆきさんのFBページかHPで問い合わせください

 

(ここからはJAZZの感想ではありません)

生と死はその同時性が私はあると思っていて

死は何のためにあるかというと生きるためにあり、

生は何のためにあるかというと死ぬためにあるのです。

 

生死に関わるあらゆる感情はある意味、必要なくて

星座でいうと人生は、魚座と牡羊座の死と生に凝縮されていて

生きることはこの2つの星座で必要条件が満たされると思うのです。

 

もちろん魚座と牡羊座で世の中が成り立つわけではないのですが、

最近いろいろなニュースが飛び交う中、自分自身の生きることと死ぬこと以外は

別に何も考えなくていいのではないか思うことがあります。

 

生きることと死ぬこと以外、全て違う個人の人生においてその過程で苦しくなったり喜んだりする。

 

その感情は大切なものだけれど、死ぬ時にはそれは実は必要なくて、あらゆるものを置いていくわけです。

 

それでいて体は死に近付きながら生きることは素晴らしい!と生きることを謳歌する。

 

この世界は生命讃歌にあふれていますがそれ以上に、死に対する意識が薄かったりします。

 

死までの讃歌は生命讃歌と同じであるのにです。

 

どちらも意識して大切にすれば生きることは自然と自分らしいものになるのではないでしょうか?

 

コロナウイルスは、多くの人に生きる時間はとても短いということを教えてくれています。

 

生きる時間は死ぬまでの時間です。

 

あらゆるものを含む死までの時間を自分らしく過ごしていきたいですね。

 

生きることは複雑で矛盾だらけですが、シンプルに生きることを考えさせられたJAZZの夜でした。

 

さて年末、いよいよ水瓶座の時代が始まるわけですが

私はJAZZの世界には水瓶座の時代に欠かせない自由性や個性と「生きる」が詰まっている気がしています。

 

JAZZのような世界が私は好きです。

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