なぜ人は、物語に惹きつけられそれを信じるのだろうか。
それは人間のホモ・サピエンスの人類史まで遡る。
最近、ネアンデルタール人はホモ・サピエンスの祖先ではないと結論づけられた。
ユヴァル・ノア・ハラリさんのサピエンス全史では、ネアンデルタール人が3万年前に絶滅したのに対して
ホモ・サピエンスが栄えたのは認知革命が起きたからだと主張しました。
この認知革命が起きたのは大雑把にいうとホモ・サピエンスが
ある時点で嘘を信じることができたからだということです。
虚構を信じることができることでサポエンスは組織化し、より大きな集団を作ることができたのです。
大脳の容量や、体つきや身体能力はネアンデルタール人がまさっていたのにもかかわらず
サピエンスが栄えたのはこれが1つの要因だった。
嘘の話は、アダムとイブの話や神が人間に変わる神話など、古今東西いろいろな神話で語られています
そこから私たちはよりドラマチックで面白い物語を信じるようになりました。
その中で神話は今読んでも素晴らしく面白いものであり物語の母型のようなものがあると感じてしまうほどです。
今、私たちは、科学やイデオロギーを信じています。
それは目に見えて触れるものではありません。
つまり科学という物語、イメージ、虚構を信じている。
私たちはいまだに虚構の物語を生き続けているんですね。
その虚構の物語に人間は囚われすぎているのかもしれません。
だから一旦その物語から自由にならなければならない。
ただし、西洋的な自由、束縛のない状態ではなく、東洋的な自由
みず(自)から、おのず(自)からによる(由る)ものでなければならない。
そう思います。
みずからおのずからによるものによって
自分自身の弱さを見つめることができる。
そしてその自由を自在にあることを認めれば
自由自在になる
これは自分の物語を生きるのと次の時代に必要なものだとほしのすけは考えています。
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