十牛図の第一図「尋牛」とは、悟りの出発点を表す図です。牛を探し始める段階を示し、意識の成熟はここから始まります。
十牛図・第一図「尋牛」とは何か
すべては“探し始める”ことから始まる
十牛図の中で、もっとも重要なのはどの図だろうか。
到家忘牛か。人牛倶忘か。あるいは入鄽垂手か。
私は違うと思っている。
いちばん大切なのは第一図「尋牛(じんぎゅう)」だ。
すべては、ここからしか始まらない。
牛を探しに行くということ
第一図は、牛を探しに行く場面である。しかしこの時点で、牛はまだ見えていない。
本当にいるのかどうかも分からない。足跡すら見つかっていない。それでも、探しに行く。
ここには確信も保証もない。あるのは「いるはずだ」という直感だけだ。
この“保証のなさ”こそが、第一図の核心だと思っている。
牛は本当に探すものなのか
十牛図では、人が牛を探しに行く。だが、こうも考えられる。
牛のほうが、あなたを呼んでいるのではないか。
何かを求める衝動は偶然ではない。世界を知りたいと思うから占星術に向かう。意識の段階を知りたいと思うから十牛図に向かう。
その衝動は、自分の内側からであると同時に、どこか外から来ているようにも感じられる。
「いつもあなたの牛は、呼んでいた」
そう考えると、第一図は孤独な探索ではなく、応答の始まりになる。
第一図は恋愛にも似ている
牛を「恋人」に置き換えてみると分かりやすい。
失恋したとき。まだ何も始まっていない片想いのとき。恋愛で悩んでいるとき。それは、まさに第一図だ。
相手の本質も分からない。自分の気持ちも定まらない。それでも心が動く。
この“動き”がなければ、第二図も第三図も存在しない。
しかし多くの人はここで立ち止まる。牛がいるか分からない。傷つくかもしれない。無駄になるかもしれない。だから探すのをやめてしまう。
なぜ第一図に戻る必要があるのか
十牛図は直線的な修行の段階ではない。一度上に行ったら戻らないというものではない。
重要なのは、いつでも第一図に戻れることだ。
この世界はいつ終わってもおかしくない。そう分かっていても、私たちは明日が来ると思ってしまう。
その惰性を破るのが第一図である。
「本当に探しているのか?」
「本当に求めているのか?」
この問いを持てなくなったとき、人は牛を失う。
第一図は勇気の図である
第一図に必要なのは才能ではない。知識でもない。
勇気だ。
本当にいるか分からない牛を探す勇気。求めていたものと違うかもしれないと知りながら、それでも歩き出す勇気。
十牛図は到達を競う図ではない。常に第一図に立ち返る図である。
まとめ:牛は外にいるのではない
牛は外にいるのではない。だが、外に探しに行かなければ見つからない。
第一図は未完成で、不安定で、危うい。しかし同時に、すべての可能性が開いている場所でもある。
迷ったとき、行き詰まったとき、意味を失ったと感じたとき。上へ行こうとするのではなく、第一図に戻ればいい。
牛を探しに行くところから、また始めればいい。それだけで十分だ。


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